[本日の血圧 124mmHg/77mmHg...低くなって一安心]
(石倉君にバトンタッチ〜)
なんとか前半パートの自分の講演を終えて、潟Aトリエいしくら/石倉嵩之社長の
後半パートになります。
M「あれっ?座るの?」
I「急に腰痛くなっちゃったんですよ...」
と着座で語り始めます。
ボクの講演途中、石倉君が動き回っていたのはマイクスタンドの手配を
頼んでいたからだったのですね。
てっきりトイレに行きたいのかと思っていました。
(後日談:「やべ〜水谷さん立ってしゃべってるよ!!」と石倉君)
[以下、要約します]
☆アトリエいしくらの歴史
・20代の頃に叔父さん縫製工場を引き継ぎ、ボリュームゾーンだった
工場を「日本一のプレタ工場にしよう!!」と一念発起☆★☆★
全国の有力工場を巡る。
・その時に、痛切に感じた工場の印象「暗い」を払拭して
「明るく元気な工場作り」を目指す。
・国内最高レベルのプレタメーカーが主要取引先になり現在に至る。
・駒場にアトリエを設立。中国流出とは真逆の方法論をとる。
☆東京の縫製工場数の推移(リサーチの結果)
昭和45年 769工場
昭和55年 527工場
平成元年 361工場
平成18年 129工場(1/3に激減)
※そのうちの大多数が高齢者の為、所謂[年金工場]となり、
加工賃低下の要因となる。
☆これからの服作りのありかた
・「日本人の手先の器用さ、勤勉、約束を守る」といった国民性の長所
を活かした服作りで勝負するべき。
・駒場にアトリエを新設した大きな理由として、社員が毎日ショップの前を歩いて
感性を磨き、工場レベルではない高いゾーンでファッションを語り合う。
故に服を好きな人が服を作る。得意先の検品レベル以上のこだわりをもって
"おせっかいの提案"をする。
隣りで聞いていても、熱いです。
まさに...
「静の水谷、動の石倉」って感じ♪。
(きっちり40分で終了〜)
村長さん仕切りで、質疑応答に入ります。
事前アンケートで質問をいただいていましたが挙手はなく、
すると村長さんが「ではデザビレルールで指名します」と名前を読み上げます。
ビックリ !!(☆o☆)!!
【質疑応答】
Q.「価格帯が二極化する中での国内生産対応は?」
A.「当然、高付加価値&高価格帯を狙い、”国内で作る意味のある服”を作ります。
他方、低価格帯への国内対応は、原価率ではなく消化率で服作りを考えるアパレルと
お付き合いするのが得策だと思います。」
Q.「年間を通して工場さんが忙しい時期は?」
A.「まさに今です。以前はA/W生産にも大きな山がありましたが、セールという
麻薬に取り憑かれ、売り時期を逃している"負のスパイラル"が発生し、
その山は削られました。その土砂が谷を埋めることなく、さらに谷は
深くなるばかりです。
唯一セールまでの期間が長い今が、年間を通して最盛期となります。」
Q.「工場さんへのアプローチは?」
A.「すぐに「ロット、加工賃、納期は?」と聞きてくる方がいますが、
それは年間を通したお取引があるアパレル企業との会話です。
個人デザイナーがその言葉を発したら、まずお断りしますね。」
「忙しい時期にアプローチしてもそれは無理なコトです。そこには全てが
集中しますから、まずは無理してでもその時期をずらすコトです。
そして直接訪問し、相手の立場に自分を置き換えて話をするコトです。」
Q.「今のお話しを聞いてますと、この先縫製工場は魅力的に聞こえるのですが
何故みなさんやらないのですか?」
A.(声を揃えて)「儲からないからです。”要求品質とコストのアンバランス”。
現存する縫製工場は、並大抵の努力では生き残れません。
その中でも工場経営する為には新たな方法を模索し、[作り手]と[送り手]が
同じ空気を吸いながら「一緒に服を作りましょう!!」という夢を持ちながら
服作りをしています。」
(最後に参加した二友会メンバーの紹介です)
【二友会自己紹介】(参加4名)
「潟{ンローブ」高須君
「(有)ファッションいずみ」水出君
「小林縫製」小林君
「朝日繊工」松本君
みんな語る!語る!!。
嬉しくなりました。。。
滞りなく講演を終了するコトが出来ました。
ご清聴いただいた多くの皆様。
ツインスピーカーで支えてくれた石倉君。
参加した二友会メンバー。
そして、
今回の講演を運営いただいたデザビレの鈴木村長さん。
本当にありがとうございました。