2008年04月27日

[日本モデリスト協会]に行ってきました。

2/27(日) 薄曇り

[本日朝食後の血圧 131mmHg/86mmHg...またしても帰り道の記憶がない...]

(昨日の午後...)
[日本モデリスト協会]に参加する為、新宿の文化学園に向かいました。

文化食堂.jpg

今回は総会の後、銀座テーラー社長の記念講演が開催されます。
会場入口で東スタチームとバッタリ!!。並んで座りました。

稲井田征会長の議事進行による総会が恙無く終了後、記念講演が始まりました。

<専業主婦から女性経営者へ>
脱テーラーの挑戦!
更なる飛躍を目指して銀座老舗を企業再生


銀座テーラー代表取締役社長 鰐淵美恵子(わにぶち みえこ)さんの
講演が始まりました。
以下簡単に内容を紹介させていただきます。

「老舗こそ挑戦者であるべき」

(生い立ち)
大阪の菓子問屋に生まれました。先代が[寒露あめ]を全国に売り歩き
広めましたが、亡くなられた後すぐ取引先が次々に大手菓子メーカーに取って代わり、問屋機能の消失を「いらなくなったものは無くなっていく」と実感しました。
テーラーの歴史を振り返りますと、昭和20〜30〜40年代とどこの街角にもテーラーがありまして、みなさん"服を仕立てる"生活をしていました。
銀座テーラーの二代目と結婚して主婦となりましたが、その当時はそれこそ服を作れば売れる時代でして、その後に押し寄せたバブルの波は可笑しなもので[洋服のお仕立て券]が飛ぶように売れました。毎朝会社が始まりますと電話がジャンジャン鳴りまして、企業様から「数十万のお仕立て券を20枚」というような注文が相次ぎ、朝の1時間で1日の売上げが立ってしまう程でした。営業は顧客を回る必要もなく、次第に顧客リストが企業リストに変わっていきました。
バブルがそう長く続くわけがありません。バブルが弾けますと、恒例であった朝の電話は1本も掛かってくる筈もなく、手元にあるのは企業リストのみ。業績は急激に悪化しました。
ある日、店のトップ営業マンが突然退職しました。その際「奥さんがお店に入るべき」と言い残していきました。その後どん底の92年、男社会に入社しました。自ら営業目標を設定し、朝から晩まで売り歩きました。しかし日中出合うのは奥様ばかり。そこで何とかレディースを提案できないものかと思案しましたが、当然の如く賛同者はいませんでした。しかし職人さんは"1着縫って幾ら"の世界です。売れない時代ですから「奥さん婦人服でもいいから売ってきてよ」と手を挙げてくれる裁断士と縫製職人が現れまして、私と3人でレディーススーツが確立しました。
メンズに生地、テーラーの技術によるレディーススーツ。従来の紳士服は固くしっかりして10年でも着れる服でしたが、そこにレディースの柔らかい生地を導入したのです。その後訪れるイタリア服のソフト感にも、この先立って確立したレディースの技術が対応しました。

(第2の創業)
NBCとう懇意にしていただいてる会で、[銀座テーラーの再生]というサブジェクトが提案されまして、翌日には「銀座テーラー再生プロジェクト」とうA3のFAXが送られてきました。
「まさにコレだ!!」とそれに基づいて、社員全員と面談して経営理念と基本方針を伝えました。その時、職人さんはどうしても残したいと願いまして、お陰様で1人も欠けることなく現在を迎えています。
従来の30万円を越えるオーダーメイドの服を、ミシン工程を増やす事でコストを半分以下に抑えた[サムライ]を開発。これがインターネットを通じて普及が拡がり、売上げの1/3を占める収益の柱になりました。

(Something New 、Something Different)
ブランディングはピラミッドだと考えています。頂点は100万円はするオーダーメイド服ですが、その下に[サムライ]を置き、底辺には[オーダーメイドジーンズ]を開発し、また気軽に立ち寄れる[男性美容]を始めました。これにより30〜40代の若い顧客を獲得できまして、[銀座テーラー]というブランディングの裾野の拡がりに成功しました。

(日本テーラー技術学院とテーラーギルドの創設)
職安に裁断士を募集した事がありまして、裁断士という職種はすでにありませんでしたが(笑)50名の応募の中、49名がパタンナー希望でした。その人達は一様に「洋服の作り方(工程)を見たことがない」と話していました。
とにかくこのテーラーの技術を伝承しなければならない!!と思い立ちまして「日本テーラー技術学院」を創設しました。2クラスでスタートしましたが、今年は6クラスに拡大しました。
そして昨年には業界の共存共栄を目的とした交流の場「テーラーギルド」を創設しました。

(メディアとインターネットの活用)
私は昨年、130回の取材・講演依頼を受けました。3日に1回は何らかのカタチで露出していました。私が広告塔となって[銀座テーラー]を認知したお客様が[HP]を確認し、購買に結びつくという流れになった結果、弊社の売上げは2007年度30%増、2008年度38%増、2008年度は半期で89%増という結果を見出す事が出来ました。。。


【講演後記】
講演での最後の部分、メディアとインターネットの活用はウンウンと頷くほど
共感を得ました。
弊社も今年、新聞取材5回、講演1回と今までにない露出をして、その効果たるや
絶大なものとなっています。
やはり常に情報発信する重要性を痛感しました。
そこから多くの出会いが生まれますから。

【追伸】
懇親会場にて鰐淵社長と名刺交換&並んで1枚パチリ♪

鰐淵社長と.jpg

鰐淵社長お若いです!!。
posted by ミズミズ at 12:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本モデリスト協会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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